東京は遠方なため観に行けないのが残念です。
こういう記事読んで脊髄反射してただ同情して政府は責任とるべきだとネットに書いてしまうバカがいるのはいつものことですが、少しは自分の頭で考えたほうがいいと思うんですよね。
とくに○○○○さんのタイプは。
川上綾子(追記:本名との指摘があり修正しました。アーカイブは残っているようです)
東京都内の資料館で6日、台湾の「慰安婦」をテーマとした特別展が開幕する。5日付で台海網が伝えた。
台湾籍の元“慰安婦”、鄭陳桃さん(92)が台湾婦女救援基金会の付き添いで来日し、当時受けた被害の様子を語るという。
鄭さんは「昨今の日本の右翼政治家による慰安婦の史実を歪曲するでたらめな発言」に対して、抗議したいとしている。
台湾籍の元慰安婦は現在8人が存命で、鄭さんは最高齢にあたる。18歳の時、登校途中で日本籍の警察官に拉致され、インドに連れていかれて従軍慰安婦にされた。21人の女性が一緒だったが、今でも存命なのは鄭さんだけだという。
特別展「台湾・『慰安婦』の証言 日本人にされた阿媽たち」は、台湾婦女救援基金会と「女たちの戦争と平和資料館」の共催。
※下記リンクより、一部抜粋。続きはソースで
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130705-00000044-xinhua-cn
まあ、普通の歴史が頭に入っている人はこの文章でおかしな箇所があることに気づくはずです。
時系列を整理するために指摘しておくと現在92歳の方が18歳の時は74年前つまり1939年です。
1941年に真珠湾攻撃、マレー作戦が行われています。
開戦前に日本国籍(当時なら朝鮮人も台湾人も日本国籍です)の警察官に拉致され、最後にはインドで慰安婦として働かれたということです。
鄭陳桃さんの記事は過去にもあります。
http://www.jca.apc.org/taiwan-ianfu-support/resources/19990714sojou.html
一六歳の時に叔父と継母は原告鄭を板橋(台北近郊)の林金という者に売買した。
林金は原告鄭に客を取るよう強要したが、原告鄭が「酒の相手ならするが客をとるのは嫌だ」と拒否すると、
台南塩水の柯鼻という者に売り渡した。柯鼻は「月津楼酒家」という酒場を経営しており、原告鄭はそこで働いた。
一九四二年、原告鄭が一九歳のときに柯鼻は原告鄭を魏という高雄の者に売り渡した。
1999年の記事ではこの方は16歳の時の叔父と叔母に売られたことになります。
日本国籍の警官はこの証言ではでてきません。
1942年に19歳の時にさらに売り渡されています。
19歳なら1940年のはずですが、この人の本当の生年月日はいつなんでしょうか?
さて、インドに連れて行かれて従軍慰安婦にされたという記事ですが。
日本軍が英国領インドに向けて侵攻したのは1944年のインパール作戦です。
結局歴史的敗北を喫し多くの犠牲者を出しながらインドには辿りつけませんでした。
インドで慰安婦されていたというのなら英国領インドで慰安婦されたということになります。
この辺りの誰でも気づく矛盾点はどう説明されるのでしょうか?
というか説明をこの年老いた女性に求めるのは酷すぎる。
この老婦人を利用している市民団体はどう説明するんでしょうか?
いや、
いつものように説明する気ないのは最初からわかってて書いてるんですが。
[ 2013/07/06 20:53 ]
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